日本社会は一回の失敗に厳しすぎる
ここ最近、日本社会はどんな内容の失敗にも厳しすぎると感じるときがある。
意図的に本人が起こした失敗と意図せずに起こした失敗を一緒にしている傾向があると思う。意図的に引き起こしたのと意図せずに引き起こしたものが同罪であると言われたら僕は”NO”と言いたい。
また意図的に引き起こした失敗の中でも人道的に反するものとそうでないものがあると思う。今の日本はこれも一緒の失敗で括ってしまっている。
つまり一回”意図して”、”意図せず”関係なくどんなミスでもしてしまい日本国内に情報が出回ってしまうと自分の過ちを更生して再スタートしようとしても社会が認めないことになってしまっている。
その典型的な例が僕の尊敬している”元青汁王子 三崎 優太”さんにあたると思います。
三崎優太さんは、2019年に脱税の容疑で捕まってしまいました。彼は、その後焼き鳥屋やホストという今までしたことない仕事について一生懸命頑張っていました。その後YouTubeやSNSで活動をしている姿が見れました。
その動画を見ているとやはり「脱税した人」というイメージがついているので生き辛さがあることを感じ取ることができ失敗に対する厳しさを再認識しました。
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— 三崎優太(Yuta Misaki) 元青汁王子 (@misakism13) September 8, 2020
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厳しすぎるのは経済損害につながる
このような人が一回の失敗で日本の経済活動の中に入れないようになる社会体制こそが責められるべきだと思います。
なぜなら三崎さんのようにカリスマ性がある人が一回の失敗でいなくなっていくと必然的に日本の経済活動の中心にカリスマ性がある人がいなくなっていきます。
経営のカリスマがいなくなることはこれからの日本にとって経済的な大損害になるとおもいます。
更生しようとしてる人は認めてほしい
失敗した人は、どのような形であれ信用を一回失っているので回復をしないといけません。その過程は様々ですが、実際に信用を回復しようと必死に働いたり社会に貢献しようとしている人がいたらその行動に対しては正確に評価をしてあげて欲しい。
事件や問題を起こしたことをいつまでも引きずると、いいことをしていても正しく評価されません。昔のことと今のことをきっちりと明確に区別して信用を回復しようと努力している人にはそれなりの評価をしてください。
これからの若い世代にお願いしたいこと
過去の過ちばかり見るのではなく、これからその人がどうするかどうかをみて判断してほしい。その頑張っている人の姿を見てみている自分も頑張るようにしましょう。そうすることで今読んでいるあなたが日本の経済活動の中心になっているかもしれない。